再び病院

お花見など楽しいイベントが多い反面、
面白いことに流され自分を見失っている気がしてます。
お誘いがあるのはいいことです。
ただし、心身のバランスやワークライフバランスなど、
何でもバランスをキープすることは簡単じゃないですね。
帰ってから、こそっと反省の日々を継続中。
「自分を大切にする」…まだ何かわからないままだな…



数時間前に運ばれたときよりも、
さらに人の気配がない病院の中の診察室で、
医師が来るのをじっと待つ。
何も考える気がなく、
無人の待合でKの動く物音が耳に入ってくるだけだった。


さっきと同じ医師と看護師が腕の包帯を取り、
患部の洗浄を再度行い、
今度はもっときつく、
誰かが腕をつかんで離さないぐらいギュッと、
何かを巻く感触がした。
その上からテープをこれまたがっちりと、
ぐるぐる巻かれて固定された。
上手く説明できない理由は、
何も見たくなく、ゆるく目を閉じていたので、
具体的な内容が知らないためだ。
ただ、医師が寝起きなのは間違いなかった。

腕はそれほど痛くもなく、ここまで来ると気持ちも吹っ切れていた。
ふと壁の時計に目をやり、
「半○」がとっくに終わっていることを知った。
「先生、見れなかった!」と、ほんの少し残念がった。


診察中の雑談で、少しあばら骨が折れただけで
100cc出血する話が出てきたけれど、
その量であの血だまりはできないと思うと、
一体どれほど血が出たのか興味が湧いてきた。


さきほどと同様に診療の後で、
明日の朝、専門の病院で診てもらうように言われた。
いつの間にできたのか、ここの診察券を渡され、
Kとともに病院を後にした。
「大丈夫か?」と心配そうに聞くKに、
「大丈夫や」と左手を上げて答えた。


それにしても体がだるい。
延々と泳いだあとの疲れのようだった。


Kが気を散らすために敢えてしたのか、
自分がそうだったのかわからないけれど、
帰りの車の中はサッカーやフットサルの話がほとんどだった。
明日にならなければ何もわからないのなら、
苦い今日の出来事など考えなければいいのだ!

出血

なんだかんだと忙しさに押されながら、
1、2、3月はあっという間に過ぎていきました。
こういう暮らしぶりはいけませんね。
今年も残り9か月。よろしくお願いします。



左手でぎこちない歯磨きを済ませてから、
どれくらいぼーっとしたのだろう。
おなかのあたりがひんやりするのに気付いた。
骨折の影響で変な汗をかいたと思い触ってみるとぬるっとする。
見ると、
ケチャップがべちょべちょに着いたような左手があった。
見慣れない現実を認めるまで、何だかよく分からなかった。


カーキ色のポロシャツもよく見てみると、
血を吸収して重たい。


何かあれば遠慮なく来てと言われたこともあり、
結局はさきほどの病院に行くことしか思いつかず、
このまま朝まで自宅待機も考えはしたが、
いてもたってもいられなかった。


それにしても、車を持っていないので、
このだるい体で隣町まで電車で行くのは厳しく、
タクシーを使うのも料金や、
血で汚したときを思うと躊躇する。…冷静というかケチだな。
そこで、やむを得ず近所の友人Kに連絡することにした。
Kは「すぐ行く」と快諾してくれた。
持つべきものは友だ、本当にありがたかった。


病院に、出血したから今から向かう旨の連絡をして、
Kと出発した。
道中、私とKは今日起こったことをざっくりと話した。
ワイルドだが穏やかな性格のKは、
話の折々に「大丈夫や」と勇気づけてくれた。
精神的にはまだまだ余裕な一方、
体のだるさは
時を追うごとに増していったような気がした。

第4回外来

今月はよく飲み、昨日はよく歌いました。
その代償としてのどがやられ、終日声が出ません。
カラオケっておかしなほど盛り上がるのですが、
もともと弾き語り派なのでこうなるのか。



院内がかなり暑いんです。
だからコートを着たまま診察を待つ人たちが、
半袖の自分を怪訝な顔でじろじろ見てくるけれど、
見ろ、看護師だって半袖じゃないか!!


プレート・ボルトはズレておらず、
診察はいつも通りの流れでした。
ただ前回、
重いものを持ってもOKと言われたので、
30kgの粉袋を持ってヤバい痛みを感じたことを告げると、
それはちょっと止めておいたほうがいいですよ、
と言われました。様子をみながらがんばります。


図書館は次のときまで存続しているのか気がかりです。
病院で、ちょっとしたパブリックなスペースは
前向きな患者のためにも残してほしいと思うのですが・・・。
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病院の夢を見て、夜中にガバッと起きることが時々あった。
夢の中身は、
2度目のオペ後みたいな痛々しい様子だったり、
看護師に理由もなくキレられて逆ギレしたりと、
はっきり覚えているわけではないけれどいろいろ。
トラウマがあるのかないのかも分からない。
でも病棟の窓に行き、
そこから見える景色などをざっと見渡したから、
そんな夢が出てくることはないだろう。
入院当時に眺めた風景とは全部が違って見えたからだ。
それに病棟そのものが
以前よりとても狭い空間に感じられ、
何だか息苦しかった。
とにかく心身ともに、日常に戻った証拠だ。


もしも入院に治療以外の意味があるなら、
将来もっと痛いことや、
辛いことに遭ったときのための練習に過ぎない。
前を見るだけ。


みなさん、よいお年を!

帰宅

自分の骨折に関係なく、
町は普段通りに動いていたことに多少戸惑った。


駅を目指すと、
どうも右脚の股関節が痛くて、
足を引きずるように進んだ。
歩調を合わせずズンズンと歩く母は、
遅れてついていく私を何度も振り返りながら、
少し先を行っていた。


乗った電車は事故による遅延で、
すぐには発車しなかった。
よくあることなのに、
いつもよりも待ち時間が長いように感じる。


その間、
明日行く病院は家の近くにしようとか、
ケガをして手当を受けるまでの経緯を
ポツポツと話すぐらいで、
終始おだやかな時間だった。


帰宅するやいなや横になった。
痛みから少しは解放され、
それに耐えてきたから体がだるい。


晩ごはんは、さんまの塩焼きで、
少し美味しそうに見えた。
左で持ち上げてかぶりつき、
食後はまた横になった。
とにかくだるく、
どんよりとした疲れを感じていた。
気分はわるくないが、
何もする気が起きないし、
眠れそうなにもなかった。
今日の出来事は何も考えずに我慢して、
このままじっと右腕を胸の上に置いて、
明日の朝を待つつもりでベッドの上で過ごすつもりだった。


早く朝が来てほしい。
明日近くの病院に行けばいいだけだ。

救急診療終了

挨拶のあと、
まずは医師が母に説明をはじめた。
応急処置をしたので、
明日の朝一で、この病院の整形外科か
近くの整形外科へ受診するように勧めていた。
また、家に帰ってから何かあれば、
夜間もおりますので、遠慮なくこちらへ来てください、
とも我々に伝えていた。


表現はおかしいけれど、
ある程度無事なのを知ってほっとしたのと、
ケガした息子への呆れた気持ちが入り混じった顔で、
母はX線写真と私の顔を交互に眺めていた。


それから着替えの前に、
念のため破傷風の注射もしてもらった後、
看護師から診療費の支払方法を聞いた。
いま1万円を前金で払い、
病院の会計が開く明日以降に、
差額を返金するか、追加料金を支払うこととなった。


持って来てもらった着替えは、
ポロシャツ・パンツ・長ズボンだったが、
何を考えたのか、
そのパンツは紺色を基調とした背景に、
電車と線路と
意味不明のアルファベットがいくつも描かれた、
「ファンシー」すぎるパンツだった。
普段着ることはなく、
引き出しの奥にしまっていたはずなのだが、
どうしてこれを選んできたのか見当がつかない。
恥ずかしくない、もっとごく普通のパンツがあるのに…。


ぎこちない着替えをみて、
手伝いましょうかと看護師に言われたけれど、
やんわり辞退し、着替えを終えた。
腰の傷がズボンに擦れて傷む。


包帯で巻かれた右腕を三角巾でつってもらい、
お礼を述べて家路についたのは6時半を過ぎたころだった。
外は風がなく、日中の熱気がまだ残っていた。

脳とオカン

昔、バイト先へ自転車で通勤中、
車に「ほんのコツン」と当てられて転倒し、
頭を軽く打ったおばさんがおられた。
その時は外傷や出血、痛みもなく、
そのままお仕事を続けたのだが、
4年たったある日、
突然ろれつがまわらなくなってきて、
障害があらわれたそうだ。
落ち着いた優しい方だった。
その方と、お連れのおばちゃんが昼休憩のときに、
「頭をぶつけたらあかんよ、注意せな」
「示談にしたらあかん!あとで言うても無駄やねん」と、
真剣に話しておられた。
どういう経緯でそんな話になったのか覚えていないけれど、
その場面を思い浮かべていた。


医師の説明を何ともいえない気持ちで耳を傾けながら、
さっきまでの安心はどこへ行ったのか、
顔には出さずおびえていた。
顔に出ていたかもしれない。
ただ、この繊細な脳内をすぐに検査したからといって、
やってしまったものはしようがない。
体験した脳の揺れは、
夜店のヨーヨーをバシャバシャついて遊ぶ感じに似ていた。


気持ちを切り替えようと、
部屋の奥の窓に視線を移すと、
外はもう暗かった。


肩や指の細かな傷をみてもらっていると、
廊下で誰かが職員と話している。
聞き慣れた声だ。


戸が開き、母が入ってきた。
「あんた!!」
自転車に乗ってパンを買いに出かけた息子が、
どうしてこうもズタボロになって
隣町の病院のベッドの上にいるのか、
理解しかねる表情で戸口に突っ立っていた。
そりゃそうだ。申し訳ない気持ちでいっぱいだ

リハビリの効果・現状

以前に比べて明らかに
曲げ伸ばしがよくなったので、
先週からリハビリは週2から週1となった。
右手の指先が右肩に触れるには、
あと5cmの曲げが必要で、
左手で引っ張ってやると何とかくっつく程度だ。
担当の療法士によれば、
触っている感じからすると、
もう少し曲がっていいらしい。
右の前腕を固定して体を後ろにやる、
そうすると関節に隙間ができ、
曲がりやすくなるリハビリを
ここ数回してもらっている。
関節周りをほぐしてもらうのは、
可動域の拡大には非常に効果的だと思う。


あと大切なのは筋力の回復である。
肩や上腕二頭筋は順調に戻ってきている。
しかし何でも、
上腕三頭筋の1つがダメージを受けていて
(正常な筋のパワーが5とすると、
 そのダメージ筋の出力は2か3らしい)、
あとの2つがそれを補っている状態であり、
本人に自覚はないけれども、
曲げ伸ばしによる肘関節の軌道が不安定だそうだ。
フレンチプレスみたいな動きの運動をするのだが、
それを行っているときは、いまだに肘の内側が痛い。
筋が悲鳴を上げている、いけない痛さだ。
そのトレーニングを自宅で、
500MLのペットボトルを使い10回やったら
もうプルプルしている。あー…。
手のだるさから、
握力も弱っていることも実感する。
そしてトレーニング後、
重くてじゅわっとした痛みが襲ってくる。


伸ばすことは、ボルトが邪魔してこれ以上は無理だ。
あと5〜10°で180°。
抜釘すればまっすぐ伸びるとしたい。


骨や筋などの癒着は、
療法士の方や自分でのマッサージで解消されたと思う。
推測では、プレート等を装着するときに
筋肉を切った部分が、
癒着していたのではないかということだ。
思いつくたびに揉んでいたので、
社会で役に立つとは思えないけど、
一番おもての肉だけをもみもみする達人になることができた。


いろいろなリハビリがあるだろうが、
電気やジャグジーよりも、
実際にマンツーマンでマッサージや、
負荷を用いたトレーニングをやってもらう病院が、
個人的にはいいと思う。


1回40分で1200円。
ミギーのためなら費用が高いも安いも関係ないとはいうものの、
こういうリハビリの相場が多少気になるところだ。