gatto bianco

大将

風邪で鈍っていたので軽く走るつもりで出発したはずが
ポタリングの心が自然発火してしまい、
何となく峠を一つ越えた古刹に到着する。
門前のお店の人の話では界隈で最も由緒ある寺院だそうだ。
参拝客がまばらなのは、立地の悪さと
観光化をよしとしない住職がその理由らしい。
日の陰りに催促されるように門をくぐり、
草花のトンネルを抜けて本殿への階段を登ると、
ちょうど石塔の上でくつろぐ白猫と目が合った。
多分ここでまったりするのが習慣なのだろう。
気高そうな彼は逃げずにじっとして、
目の前の見知らぬ男を試しているようだ。
参る間だけ彼のシマに立ち入らせてもらう。
もちろんこの古寺の情緒も相当なものなのだが、
それにしても猫に境内はよく似合う。
いや、恐らく街なかで猫が似合う空間が減ってきているので
余計にそう感じるのかもしれない。
もし人間に代わって猫たちが街を計画したのならば、
そのとき人はそこに似合う生き物となれるのか、とふと思った。


すっかり日も暮れ家路を急いでいた。
と、他所行きの身なりをした女の人の大群が見える。
いわゆる宝塚の出待ちのようだ。生で初めての目撃。
想像していたよりもはるかに秩序のある落ち着いた出待ちで、
他の人よりも明らかに背筋のしゃんとして、
髪もばちっときまっている女性もいるので、
歌劇団員もこの中に多少含まれているらしい。
体の中の不純物が放出されてすっとする、そんな格好良さに思えた。
なぜか団員さんはコートの襟を立てている率が多いようだ。
よくニュースで卒業式の光景を目にしたとき、
完全に別の世界の人のように思い込んでしまうけれども、
充実した人というのは、時を経て何かしら自ら輝いていく気がした。
そして以前に音楽学校のドキュメントフィルムをみたのを思い出した。