ヒアリング

昨日と同じく黒縁メガネをかけた、
どこか重役秘書っぽい看護師から、
診察を受ける前に、
これまでの経過や救急でどのような処置をされたのか、
また現在の痛みなどを質問され、
低調な声だが手短に答えていった。


数ある質問の中で、
「どうしてこのまま家で過ごされたのですか?」
のようなことを聞かれたとき、
少し頭に血が上ってしまった。
「救急で連れていかれた病院で帰っていいと言われました。
一度こちらにも連絡しましたが電話で断られました。」と、
ありのまま事実を述べると、
黒縁の方は「え?」としばらく言葉に詰まり、
「満床だったのでしょうね」と付け加えた。
聞き耳を立てている前の座席のお年寄りの背中を、
おれはちらちら眺めていた。


ヒアリングは10分もかからなかった。


待合のシートの前方に番号を表示するモニターがあって、
自分の番号が示されると、
診察室のある小スペースへ進んで待つ流れになっている。
横になってだらーっとしたい気持ちを胸に、
モニターに出てくるであろう自分の番号を待ち続けた。
とても、とてもいやな時間だった。
出かけるときの、
さっさと診察してもらって帰ろうという明るい思いに反して、
確実に良くないことが起きる予感が心に満ちていた。
だから自分のナンバーが出てこないようにと、
何のためにここに来たのか分からない気持ちが混じってきた。

待合

どこの病院でも同じような光景だと思う。
カウンターの中では始業に向けてスタッフが忙しく動き、
発券機のような機械の前では、
診察を受けにきた人たちが並んでいる。
病院慣れしていない自分にとって、
オープン前にもかかわらず、
こんなに患者が来ていることには驚いた。


初診ということで、
入ってすぐのカウンターで手続きをせねばならなかった。
初診時は、初診料などの費用がかかるのだが、
総合病院のそれは高い。
意味が分からないものだなどと不満げに、
黙々と所定の用紙の記入事項欄を埋めていった。
手首まで包帯で固定されていないので、
思ったよりも字が書けた。


外来の手続きを済ませてから、
1番の窓口である
整形外科の窓口に行ってファイルを渡し、
自分の番号を呼ばれるまで待ちはじめた・・・。


昨日よりも体が熱っぽくてだるい。
だから待合で静かにしていたい。
そんな願いとは裏腹に、付いてきた母が非常にしゃべる。
祖父母の診察や入院に付き添った話や、
それらの病院との外観の比較など、
今はどうでもいいことをしゃべり続けた。
気分がわるいため「あぁ」などとから返事をするだけなのに、
脈絡のないトークが加速するばかりである。
頼むから帰ってほしかったがここは我慢して、
時間が過ぎるのを待つことにした。


30分ほど過ぎた。本当に長く、そしてしんどい。
しびれをきらして受付にあとどれくらいかを尋ねた。
朝一に初診申し込みをしたつもりだったが、
次から3人目だそうである。


「○○さんですか?」
うつむいていた顔をあげると、
看護師と思われるスタッフが来ていた。

朝〜事故後2日目

眠った覚えがないまま、
気がつけば朝が来ていた。
右腕が痛む。体もかなりだるい。
血液のシミが広がる包帯の内側では、
ねちゃねちゃした感触がある。
それでも、待ちに待った朝だ。快晴だった。


片腕で顔を洗うというか濡らし、
卵とハムを焼き、
白ご飯とさんまの塩焼きとサラダを、
左手で時間をかけて平らげた。
よく食べた。そして元気が出てきたふうに感じた。
お茶で一服しつつ、
ちょっと縫ってギプスをしてもらい、
早く家に帰ってこようと、
食卓で今日一日の流れも思い描いていた。


部屋のあちこちで猫たちも食事をしている。
念のためフード買ったけどすぐ帰ってくるからな!と、
手当たり次第やさしく撫で、あいさつした。
ひとりで出発しようとすると母も来た。
来なくていいといったけれども、
強引に、ついていくと言ってきかなかった。


血の付いたポロシャツを着替えることも忘れ、
外に出た私と母はタクシーを呼び止め、
「良いらしい」病院へと向かった。


10分ほどで着いた病院は、
ちょうど通勤時間帯らしく、
いそいそと多くの職員が正面玄関に入っていくのが見えた。
出勤風景に映る顔はどこもみな同じで険しい。
月曜日だからなおさらだ。
そしてこのオレも、今はその一人なんだと、
彼らと一緒に玄関に入っていった。

真夜中のネットでお買い物

部屋に来た母が「どうやった?」と聞くので、
いっぱいで診察できないらしいから、
明日朝一でどっかへ行くと答えた。
すると母は、
「もし入院したら誰がキャットフードを買うん?」と言う。
「は?」
「いまからインターネットで」
「いま?」


要するに、パソコンが使えない母は、
我が家の猫たちのフードを、
私が代わりにネットで購入しているのだが、
自分が不在となると猫たちが困るから、
今からPCを立ち上げて買えと催促しているのだ。
入院なんてするわけがないけれど、
母が万一のケースを考慮していること、
そして私よりネコたちの心配をしていることに対して、
さすがだと思わざるを得なかった。


さて、やるしかない。
何か息をするのもいつもと違う気がしながら、
利き手でない左手でマウスをクリックする。
かわいい猫たちのためだから仕方がない。
しかし気分が悪くなってきた。


後ろから、
「さっき電話したところでええやん、朝行く病院。
 ○○(叔母の名前)もええ言うてたし」
だから、何がどういいんだとうんざりしながら、
キャットフードを買う作業に集中していた。


PCの電源を落としてから再び横になった。
時計は午前2時を指していた。疲れた。
重たく、締め付けられるような痛みが続く。
眠ったかどうかわからない。
ただ、早く夜が明けてほしかった。

別の病院に電話2

女性オペレーター「もしもし○○○○○病院です」
私「あの、今日の夕方に、
救急車で運ばれた病院で手当てを受けたのですが、
  肘の骨が4か所ほど折れているそうで、
  まだそこから血が止まらないのですが」
オペ「もう1度その病院に行かれた方が
  よろしいのではないでしょうか?」
私「いえ、その病院が少し遠くてですね、
  そちらの方が近いので診てもらおうと電話しました」
オペ「あいにくですが今日はもういっぱいで、
  受付できません。申し訳ございませんが失礼いたします」
通話の細かい部分は忘れたが、こんな感じで一方的に切られた。


…。…?
…器の小さい病院じゃねーか!!
もっと重症の雰囲気を出さなければならなかったのか?
『骨折で出血していても死にそうにないから
急ぎで来てもらわなくてもOK』
という考えは百歩譲って分かる。病院にも事情がある。
しかし他の関連病院くらい教えてくれてもいいじゃない!


引き続き他の病院に連絡すればいいのだけれど、
身勝手なイライラはすぐに疲れへと変わり、
電話することがだるくてたまらない。
また、オペレーターとの会話で緊急ではないことを悟ったので、
こうなったら明日の朝一番にどこかの外来に行こうと腹に決めた。
今思うと、もう1度119に連絡すればいいだけの話だった。


携帯を放り投げ、また横になった。
あー、早く朝になれ!

別の病院に電話1

このまま朝が来るのを待つよりも、
いま何かできないかと考えていると、
あるアイデアが浮かんだ。


『夜間救急外来があるはずだ。
どこか近くの大きな病院に連絡して、
そこで診てもらおう』と思い立ち、
携帯を握った。
しかし、どこに電話をすればいいか見当がつかない。


昔、骨折をしたときに通った病院は、
レントゲンを見た医師がニヤニヤ笑った記憶があって、
腹が立ったので行きたくない。
父親が手首を折って手術を受けた病院は専門の医師が
よく変わるとかで、不安だからいやだ。


そこで母親にどこか知っている病院を尋ねると、
叔母が胆石の手術をして、
非常に良かったと聞いた病院名を答えた。
何が『良かった』のか、こちらが聞いても、
『良かったから良かったんちゃう?』と適当に言うだけだった。
大体、胆石と骨折は全く別物ではないだろうか?


意味のない答えだが、
こういうときは曖昧な答えでも、
人はそれに頼ってしまいがちだ。
調べてそこの番号にかけた。

治療を振り返って&止まらない血

家に着く間際に、先ほどの治療を振り返った。


指先に力を入れて、
右腕の特定の場所を挟むように押さえていると出血しない…
中はどうなっているんだ?


……患部の肘に関しては、
特定の部分がぐちゃぐちゃらしく、
これをどうするのか目の前で交わされる会話の途中で、
「『アンルーフ』します?」と、
看護師が医師に考えを打診したときは、
医療知識がゼロな自分でも、
何かよくないことが起こりそうな気がしたので、
「えっ!?だめだめだめだめ」と、あわてて拒否した。
「ここでやるのは、空気中にも菌がありますし神経も多く通って…」と
医師もその提案をやんわり却下して、ほっとした……


Kにお礼を言い、家で汗をぬぐってベッドで横になった。
右腕は胸の上においたまま、ぼーっとして時間が過ぎるのを静かに待ち、
部屋の明かりをつけたまま眠ろうとがんばった。


患部をテープなどで相当きつく巻かれていたため、
不快でしょうがない。どうなっているか目で確認すると、
何やらまたシミが広がっていた。血だ。
どうしたっていうんだ!
またあの病院に行かなければならないのか?
そんな気力は残ってなかった。
ベッドの上でぼんやりと、
しばらく現実から逃げていた。