oretta affascinente

おでんの素・うまたれ・風月

同じ釜の飯を食った仲間と一杯やる時間は、
当時と今との固有なテンションが交錯し、一味違う飲みになる。
やり取りそのものが励みや後押しといったフォローとなり、
再会を誓ってコーヒーでしめた。
ただ、カフェインに弱いのを忘れていたため、
まったく眠りにつくことができなかったのが誤算であった。


母の日で、カーネーションが売られていた。
なんとなく同じ赤色だしということで、
お好み焼きのソースをプレゼントとして買った。
翌日になって、来年はやはり素直にカーネーションにしようと思った。


その帰りの電車でのこと。

以下趣向を変えて長文。

運良く座ることができ、文庫本を楽しむことにした。
発車後しばらく読書に没頭していたところ、
ふと何か視界の上辺が若干おかしく感じたので何気に眼をやると、
目の前にある満席の7人掛けシートに腰掛ける客の4人が、
タイトなミニスカートで、全員絵に描いたような見事な脚だった。
皆一様に、モデルのように少し斜めにスネを揃えて、
見たこともないが一流企業の秘書たちといった雰囲気をたたえていた。
中には着る意味がなさげなほど超ミニでこれでもかと脚を組んでいる女性もいる。
「またどんな用事で?」とか「何のお祭りがあったの?」「ワナ?」
などと心の中で突っ込みたくなる。
その同じシートの脇にはタイミング良くというべきか、
不慣れな外出に疲れ果てたような顔をして買い物袋を抱えるおばさん方が、
いやをなく主役たちのちょうどいい引き立て役となり、
地方の一路線にはあるまじき景観が形作られていた。
そして同時に、隣に座っている客がこれまたミニで網タイツを履いていることに気付いていまい、
ものすごい確率で起こった、
有り得ないほど眼のやり場のないポジションにいることを理解した。
この状況を認識する間推定約1秒少々。
とりあえずは何事もなく本を読んでいるふりをしてみたものの、
アルコールの入っている身としては、やはり気にならざるを得ない。
いや、素であったとしも、男でなくても、
これに気にならないのは精神の、相当の修行と鍛錬が必要だろう。
もしもこの密室で堂々と目線を送ることができるとすれば、
一部の一般常識など通用しない不道徳な猛者か、
お姉さんでもおばさんと平気で呼んでしまうようなけがれを知らぬ純真無垢なお子様、あるいは、
最近の若い娘は・・・と刺激され、
若い頃はあたしもブイブイいわしていたのよ的対抗意識に女性ぐらいではなかろうか。
ミニ軍団が居眠りや読書したりメールしたりして隙を作ることもまったくなく、
揃いもそろってどこを見るということでもなく眼を開けている。
似たような格好ではあるけれども知人や友人というわけでもないらしい。
しかし何なんだ、直視すると結果的に罪人扱いされてしまうというのに、
どうしてこんな鑑賞してと言わんばかりの着衣で挑発されねばならないのだろうか。
たしかにそのようないかにも常識ぶった小言も筋は一本通っているのだが、
どうせならもっと多くの適齢期の女性にミニを着ていただいたほうが
世の男性にとっては大いによろしいわけで、
腹に決め勇気を持って再び一瞥した後、つつしんで我が読書の世界に戻ることにした。
まず脚に眼が行く性格でもないし、この小説も非常に興味深い。
君子危うきに近寄らず、大過なく小心者でいいのだ、と半分本音で半分言い聞かせた平常心。
とはいうものの、3つ隣のおじさんが新聞を熱心に読んでいるのは、
きっと紙面の小さく破れたところを探してまたとない光景を堪能してるはずだろうし、
なぜか夜に黒いレンズのおしゃれなゴーグルをしているお兄さんも同様だろう、と
あかの他人の幸運に嫉妬する瞬間があったことは否定できない。
でももういいんだ、もっといいことあるはずと受け流した。
事実、脚はもう満腹だった。
そうこうしているうちに刻々と乗り換えの駅が近づいてきたところ、
この状況下でのあるひとつの考え方がひらめいた。
「セクシーでゴージャスなアートの前で読書するチャンスを得たのだ」と。
こんな特殊な空間で面白い活字を目で追うことなど後にも先にもないだろう。
ならばせめて用意されたひとときを存分に楽しもうではないかということにした。
強引な発想の転換を成し遂げて、まもなく乗換えという事態の収束を迎えた。


素敵な人たちは目的地へと各方面に散っていった。
とたんに表れた日常に帰ったためか突然妙に疲れを感じたので、
空いていそうな最後尾の車両に乗り、どかっと腰を下ろし一呼吸した。
身も心も、そして頭もひとりよがりな葛藤から解き放たれ、
本の続きを読み始めていた。
人のまばらな各停の車内は涼しく、何より戦いのあとにはぴったりだった。