mi ricordo un paesaggio a tavola

 同級生から携帯に、
母親の葬儀を済ませたとメールが来た。
家族葬で済ませたそうだ。
知り合いの肉親の死は当事者ほどではないものの堪えるもので、
心に平静が来るのを待っているところである。
おじさん、おばさん、
そしてあの白くてでかい犬も、もういないと思うと、
年月の過ぎる速さに放心せざるを得ない。
 いつか学校の帰り道に長居をしてしまい、
日も暮れたのでご好意に甘え、晩飯をよばれたことがある。
ちょっとだけといいながら次第に遠慮なくがつがつ平らげ、
特にうまかった茄子の田楽を集中しての食べっぷりに、
彼の両親が褒めてくれたのを思い出す。
 そう、人との永遠の別れのときを偲ぶ際、
血縁であろうと他所のお宅であろうと、
はっきりとした理由はわからないけれども、
必ず家族で囲んだ食卓の絵がまずありきなのだ。
それは今までに、あつあつの味噌汁や炊き立てのご飯のように、
温もりのある食卓に恵まれたからだろう。
 食事を共にすることは考えるよりもずっと、
ドラマなのかもしれない。