野生と仲良く

個人的には、人はあちらこちらに住みすぎていると思う。
森や山を切り拓いては宅地をみだりに開発するので、
元の居住者である野生の生き物たちが割を食っている。
勝手に土地を不動産として人間だけが所有する仕組みが当たり前の昨今、
ガラパゴス諸島への上陸制限のような自然環境主体のルールを設けるなど、
奥地や秘境へ人が手を加えたり分け入ることに敏感にならなくては、
どんどん地球の余命を短くしているように思える。


もしも当時の政府が入植地に三線沢を選ばなければ、
人間もヒグマも不幸を避けることができたかもしれない。
たまに人家に熊や猪が出没して捕物が行われるニュースがあるが、
それに出てくる猟友会の猟師が、
実に得も言えない不愉快な笑いとともに談笑しているのをみると、
根本的に何か大事なことが間違っているような気がして、
怒りと悲しみと情けなさを込み上げられる。
お祭り気分の野次馬も同じことだ。
してやったりというあの表情は、もう時代遅れの空気を感じる。
この本に出てくるヒグマは、しょうがなく凶行をやってしまったのだと思う。
もちろん凶行とは人間側の視点で語られた場合である。
著者は、自然の一部としてのヒグマを描写するなかで、
どこか尊いものであると言いたいように感じた。
人間のエゴやたくましさ、自然の脅威、
そしてヒグマへの同情が交錯するドキュメント、『羆嵐吉村昭