自転車と老人と救急車

右腕を発見者の奥さんに支えてもらい、
空に向かって上げ続けていた。
この体勢が楽だからだ。
それにしても、介助してくださるこのご夫婦に、
ありがたい気持ちでいっぱいだった。
ふもとからサイレンがかすかに聞こえてきた。


そのとき突然頭上から、
「結婚しているのか?」と、
落ち着いて問う男の声が聞こえた。
顔を上げるとTシャツにハーフパンツを着た、
日焼けした白髪頭の老人と目があった。
「いえ」
「それは良かった。迷惑がかかるからな。
 自転車はどうする?」
正論だが、この緊急事態に
結婚とか迷惑とかどうでもいいじゃないか?
と思いつつも、
「自転車はどこですか?」と本題を尋ねた。
「後ろにあるよ」
ゆっくり首を回すと5mほど後ろにMTBが倒れていた。
そんなに吹っ飛んだのか!?


びっくりしている間に老人は、
連れていた黒いセッターと一緒に、
自転車に近づいてハンドルを握り、動かし始めた。
「知っている、そこの茶店に預かってもらおうか?」
自転車をどうするか、他に選択肢がない私は、
この頑丈そうな老人に、
「お願いします。ありがとうございます」と告げた。
老人と黒い犬と愛車が坂道を登っていくのを目で追いながら、
そこまで来ているサイレンの音に耳を立てていた。
愛車にそれほどダメージはなさそうだ。
出血の勢いは弱まったものの、
歯を食いしばり続ける状態は変わらない。


老人と「医師」は去り、現場には
第1発見者のご夫婦と数人の方と私だけになった。
サイレンが止まり、赤いランプが点滅した救急車から、
救急隊員がこちらへ歩いてきた。

第2回外来

X線撮影、プレートやボルトの異常なし。
骨が作られているかどうかを判断する時期ではないそうです。
腰の傷も小さくなって治ってきていて安心しました。
でも、ミギーは右の耳の上部をつまむのが精一杯で、
思うように曲がってくれません。
もっと家でリハビリに努めなければ!


その後、しばらくFさんと、
初めて会った看護師の方とトーク
職場結婚だそうだけれど、話の内容から、
蓋を開けてみないと分からないのが結婚だと共感。
仕事と家庭では別の顔なのは、
しょうがないことではあります。
また、話の流れで医療の道を勧められました。
いい歳なんですが、全然人手不足だからいけると。本当?
途中3階に別の話を聞きに行く。


病院を出るとき、お世話になった看護師さんに会いました。
ヘルメットを見て、
「自転車で来た!?大丈夫?これが頭を守ってくれたのですね。」
「そうです。これをかぶってなければ今頃・・・」
そんな話をして、お礼を言って帰って来ました。
昨日、病棟でT君の退院祝いをやりましたが、
詰所では「卒業生が同窓会してる」と言われていたようです。
退院間近で、とある方から
「仮出所やな、ガハハ」と言われたぼくとしては、
そう言われることに抵抗を感じました。
しかし、懐かしい気持ちが大きかったのも事実です。

発見そして通報


今日、落車現場に行ってきた。
どこからみても、派手に転ぶような急な勾配には見えない。
それに例の鉄板がないじゃないか!?見間違いだろうか?



 痛みよりも先に、ヘルメットの内側で、
地震の横揺れのように何度も脳が震えたのを覚えている。
そのあとで、
右の腕、腰、膝、肩の全てに痛い感覚を超えた何かがあって、
その感覚に全力で対抗することで精一杯だった。
立ち上がろうにも、立ち上がれず、
しばらくは道路に赤いものが流れ出るのを見ていた。


やがて冷静さを取り戻し始めた私は、
救急車を呼ぼうと背中のバッグに手を伸ばそうとしたが、
痛みのためにこの半身の姿勢を変えることができず、
背中に密着したバッグから
携帯を取り出すことは不可能だった。
体をじっと横たえ、誰も通らないまま、
歯を食いしばり続けて5分が経過した。


「大丈夫ですか!?」
坂の下の方から、男性の驚いた声が聞こえた。
眼を向けると、
30代ほどのご夫婦が小走りで向かってくるのが見えた。
これはひどい、救急車呼びましょうか?」「はい…お願いします」
「動けますか?」「はい…やっぱ痛くて無理です…」
その奥さんと思われる方が叫ぶ。
「出血を何とかしないと!」


どこからそんなに血が出ているのか?
一方、男性は電話越しに、
救急に現在地を説明してくれていた。
周りに民家がなく、目印らしいものもないので、
なかなか相手に伝わらなかったのを記憶している。


 そうこうしているうちに、あと数人集まってきた。
その中の一人である中年の男性が、
私のポケットからタオルを出して
止血を試みている奥さんに、縛る位置など指示を出した。
「その辺りで、もう少し強く」
右の二の腕をぎゅっと縛られた。
「お詳しいですね、お医者さんですか?」奥さんは尋ねる。
「まあ、そうです」
この時、ごくわずかだけれども安堵を感じた。
救急処置を受けている私が今できることはと言えば、
親身になって応対してくれている方々に感謝しながら、
救急車を待つことだけだった。


 そういえば愛車は、自転車はどこだ!

落車

 それは9月8日曇り、夕方4:30頃のことだった。


 隣町にあるお気に入りのパン屋を出て、
まっすぐ帰宅するつもりが、
近くの坂道をもうひと漕ぎしてから帰ろうと、
時々走る道へ向かうことにした。
ちょっと遠回りをしてしまう気持ちは、
自転車好きの方なら理解してもらえると思う。


 マイペースで登板し、
目的地である登山道の入口に着いてしばらく休憩した後、
今度こそ家路につき坂を下っていた。
何度も通った見慣れた景色だ。
気分よく、
乗り慣れたマウンテンバイクのブレーキをかけながら、
とろとろと降りていたのだが・・・
その時ジュワッと、
額の汗が両目に入り染みて前がよく見えなくなった。


 左手であわてて目をこするや否や、
突如スピードが上がり、
ギュッと両手でブレーキをかけてもなぜか速度が落ちない。
自転車がガタガタ震えだした。
なぜだ!「ロック」したか!?


 何とか懸命に制御しようとがんばったけれど、
朝まで降った雨で湿った路面は容赦せず、
減速する気配が全くない。
また運悪く、地面の起伏のためか、
あるいは石が落ちていたのだろう、
気が付くと、そこに乗り上げた私と愛車はジャンプして宙に浮き、
濡れた鉄板の上に着地し、タイヤが左方向に滑るのを認めた。
そしてそのまま、アスファルトに右半身から叩きつけられた。
 ほんの一瞬の出来事だった。

退院後初の外来

プレートとボルトに異常がないかの確認が主な目的でした。
右腕「ミギー」は補助ありで、伸ばして5度、曲げて90度でした。
腰の挫創は小さくなったもののまだ出血してますが、
血が出るのは良い証拠だそうです。
そのあと昼ごはんを食べてから、FさんとT君と大いに話しました。
T君はリハビリを頑張っているようで、可動域が大きくなっており、
仲間の回復を見ると「おれもがんばろ!」と熱いものを感じました。


帰宅後、うちのデブネコSを抱っこすると「うっ、ヤバ!」となり、
反射的に手放してしまいます。
焦りは当然ありますが、これからですね。

はじめに

自宅はホッとするものの、
病院のベッドに慣れてしまった今、
比較的柔らかい家のベッドでは眠りにくい。
1か月に及ぶ入院生活の名残である。




今日からしばらく、
現在治療中である粉砕骨折について、
思うところを書き留めていきたいと思います。
というのも、
落車での骨折からオペに至るまで、
どういうわけかおよそ22時間もかかった顛末や、
入院生活体験を伝えることは、
一人の自転車乗りとしての義務だと感じ、
これを読んでくれた自転車好きやチャリダーの方々に、
有事での対処や入院の心構えを、
少しでも知ってほしいと願っているからです。


また、外来での治療と並行して述べていく予定ですので、
私の赤裸々な心理状態を
イメージしてもらえるのではないかと思います。
「痛そ…。」「こんなのなりたくねーな。」「気をつけないと。」
そう思ってくれれば、
多少は走行時の不注意も減るでしょうし、
多くの人がよりよい自転車ライフを楽しんでいただければ、
私にとって幸いです。


個人的には、大きなケガや病気は3度目です。
3度目のカムバックを実現するため、
日々ベストを尽くす、これあるのみです。


画像は今日リハビリの先生からいただいたもので、
緊急手術前の右ひじの状態です。
ご覧の通り、骨が欠損しておりました。
「なかなかのあれですよ。」と、
先生は繰り返し申されます、
ケガの重篤さをいまいち理解していない、
母親似の根っからポジティブな私に諭すように…。


まずは「骨折・救急編(仮)」と題し、2〜3日に1度程度、
更新できればと思います。
そして、
医療的な知識のない私が、
間違ったことをそのまま書き残さないように、
お忙しい所、お世話になったプロの方に監修をお願いしていますので、
記述した内容を信じて頂いて大丈夫です。
よろしくお願いいたします。
by MORICI