救急診療・他のきず


(現在のミギーと右腰の傷あと)
社会復帰で厳しいことばかりさせているけれど、
しばらくは持ちこたえてくれよ、ミギー。



右肘の止血が終わると、
ちょうど骨盤が張り出している、
右の腰の傷を消毒することとなった。
いわゆる擦過傷で、
傷の大きさはCDより少し小さい面積だったと思う。
傷の深さはよく分からないけれど、
擦り傷のために縫合できないようだ。
この消毒は結構痛くて、
薬品がしみるのをぐっとこらえて
大きな絆創膏?(テープ?)が張られるのを待った。
考えてみると、
シャツやパンツで保護されているにもかかわらず、
腰に擦り傷ができたのが意外だった。


膝の擦り傷は見たところ、どうということはなかった。
登山で滑ったときの傷よりよほどマシだ。
ここにも先ほどのようなテープが張られた。
手当されるがまま、雑談が続く。


また、腰・ひざときて、
ヘルメットを着けていたとはいえ、
頭部を打ったことに話が及んだ。
現状、目の動きもしっかりしているし、
メットのこめかみ部分のパーツが
多少あたって痛かったこと以外は、
特に頭痛も感じなかったので、
脳の精密検査はしないことになった。
今回の場合、急いで検査してもわからないという。
そのとき、脳に関するあることを思い出していた。

救急診療・再び止血

処置の甲斐もなく、
血は止まってはくれなかったが、
だからと言って、不安があるわけでもなかった。
というのも、いま自分は独りではなく、
病院にいて医者に診てもらっていることが、
説明不要の安心感を与えていた。
こういう状況下では、誰だって似たようなものだろう。


再び診察室のベッドに座ったとき、
やや眠そうな目をした医師に、
X線写真を指さしながら今後について質問した。
10年前のように、
シーネで固定するものばかり
思っていた私に帰ってきた答えは、
「恐らく手術かなー、ギプスでいけるかも…」
と曖昧なものだった。
手術という単語にどきっとしたけれども、
内心ギプスによる固定で大丈夫と、
何の根拠もなく楽観していた。


見解を言い終えた医師は看護師と、
もう一度止血に取り掛かった。


何カ所か縫合された感触があったものの、
縫合とか肘の痛みに慣れてきたようで、
治療されている間、
手当の様子をぼんやり眺めながら、
今晩のドラマが気になり始めていた。
そんなことを考える余裕があることは、
大した骨折ではない証拠に思えた。


「先生、○沢までに帰れますか?」
「○沢って今日?大丈夫、帰れますよ」
ゆっくりとした口調で答えた医師は、
仕事の手を止めることなく、
その話題を皮切りに、
3人による世間話が静かな診察室にしばらく響いた。
それは、私にますます安堵をもたらした。
大きな船に乗っているんだ。

第3回外来

いつも通りレントゲン。
撮影室に入る手前で、
視線を感じて横を向くと、すぐ横にいた
車いすに乗ってスウェットを着た女の子と眼が合って、
こちらは見下ろす感じ、向こうは上目遣いで、
少しの間お互い見合ったまま。


人は誰しも上目遣いに弱いものです。
知り合いか?寒いのにオレが半袖だから珍しいのか?
スタッフに催促されて入室。少しくらいしゃべる時間を…。
入院中にはいなかった方だけれど、
仲間の退院祝いのとき病棟で見かけた気がします。
こういうときに会釈しかできない自分は、
人間ができていないと反省しつつ、撮影開始。


そのあと受診まで、
今日は1時間オーバーの待ち時間でした。
あまりにヒマなので、
床が滑る待合室の隅の方で、
ひたすらムーンウォークの基礎練習。


診察。ボルトやプレートに異常なし。
順調に骨がくっついているのではということ。


先生がえらい咳をされているので、
風邪ですかと聞くと、
建物内の空気が乾燥していることもあり、
気管支炎みたいになっているそうです。
私「体調があれだと忘年会シーズンキツいですよ」
医「そうなんすよ〜、ほんとに」と、
顔や頭をポリポリ。
お仕事もしんどいだろうが、
体調が良くないときの飲み会は、
20代じゃないし、その翌日が大変。
話しながら、どちらが患者か分からなくなりました。
お大事になさってほしいです。


Fさんと雑談。
変わりなくお元気そうでした。
ただ、ナースマンへの転職を薦めるは勘弁してほしいです。
なれないし、なる気もないんです。ごめんなさい。


リハビリのT先生と久しぶりの会話。
肩に手が届くまでもう少し。
Tさん「もう少し曲がるようにならないと、
    スタジアムで大きなフラッグを振れないですよ」
ゲームは見に行くけれど、
旗なんか振ったことはないのですが…。
この先生とは、
なぜかいつもサッカーか野球、
あるいは病院か女性の話になってしまいます。
男どうしの会話って、たいていはそうなるんですよ。
リハ室の受付の方は、
いつも通り癒しのオーラを出されていました。


次回は今年最後の外来、クリスマス。むぅ。

救急診療・シャワー

一通り洗浄が終わり、止血を施された私は、
家族への連絡を提案され電話をかけた。
事後報告と、シャツが破れているので、
着替えを持って来てほしい意味もあった。


自転車から落ちて骨が折れたという話は、
家族をひどく動揺させ、落胆させた。
すぐこちらへ向かうと言う。


電話を切ってから、
全身にくっついている砂や土を洗い流そうということで、
こちらの病院の浴場に案内された。
小さな旅館の風呂場ほどの広さで、
一人で入るには十分だったが、
「試合後のシャワーですっきり」とは正反対の、
この先の漠然とした不安の中のシャワーは重苦しかった。
それでも多少さっぱりしたと思う。
メガネをかけていないので、
鏡に映る傷口がよく見えない。


風呂場を出た場所に用意されていた衣服は、
入院患者が着てそうな、
薄いブルーのガウンみたいな服だった。
まだ着替えのないがないのでガウンだけを着て、
お風呂から上がったらこれを押して呼んでください、
と言われていたのでボタンを押し、
看護師の来るのを待ってエレベーターに移動した。
あたりを見ると、浴場からエレベーターまで、
足跡のように血が点々と落ちていた。
人の気配がなく、
青白いライトに照らされた赤いシミが散らばるその光景は、
バイオハザードのゾンビが出そうなエリアを想像させた。

救急診療・洗浄


現れたのは同じ年くらいの痩せた色黒の医師と、
ベテランそうな黒縁メガネの看護師だった。
早速傷口を見せると、ケガの経緯の問答の後、
医師は「ほう…これは…」とつぶやき、
まずは患部の洗浄に取り掛かることとなった。
理髪店で髪を洗うシンクみたいな所で、
肘をシャワーしてもらった。
多少しみて痛い。
水と血と砂ぼこりが流れ、排水口に吸い込まれていくのを、
黙って見ていた。
右肘がどういう状態かは、
目の届かない位置なので、未だ分からないままである。


つづいて患部のレントゲン撮影をした。
写真からは、素人目でみて
右肘の関節の原形はとどめているようなのだが、
滑車切痕あたりが滑らかな円形ではなく、
ところどころ切断されていた。
そして何よりも、肘頭が分離して、
ちょっとおかしな位置にぽつんと上ずっていた。
何だかとてもがっかりした気分だった。
また、骨は折れていないと自分に言い聞かせていたのだろう、
諦めに似た解放感に力が抜けた。


そのあと、ベッドの上に移動し、
肘の洗浄が再開されたのだが、
傷の内部も洗っているせいか、
そこから言い知れぬ痛みを感じ、
思わず「痛い!」と漏らした。


骨折の痛みというより、
傷口の深い場所からくる痛みのように感じた。
人の意識が飛ばない程度の骨折は、
折ってしばらくの間だけ痛いだけで、
(以前、単純骨折したとき「何かおかしい」
と感じながら帰ってぐうぐう寝ていた)
痛みに強いはずの自分が痛いと言うのだから、
そこそこ痛い。
下手な筋肉注射の3倍といったところか。


「痛いですか?」と気遣う言葉と裏腹に、
洗浄は淡々と続けられた。

搬送

水で道路の血だまりを洗い流す間も、
曲がりくねった狭路を走り下りる間も、
揺れる車内で、
左腕で手すりを握って体を安定させ、
相変わらず若手の隊員に
右腕を持ち上げられたまま座り続けた。
痛みはあまり感じなくなっていたが、
体のだるさや疲れを感じていた。
細胞や神経を傷める恐れがあるということで、
「医者」の指示で止血のために縛ったタオルも取られた。
どちらが正しい処置なのだろう?


ここは自宅のあるK市の隣A市で、
流れとしてA市の当直の病院に行くのだろう。
ふと、A市に住む、
部活で同じ釜の飯を食った同級生の救急隊員が
どうしているのか聞きたくなった。
彼とは以前、
自宅で異常に気分が悪くなり、
急患で行ったとある病院で、
眼を開けると白衣を着た彼がいて、
奇跡的再会を果たしたのだ。
「○○ちゃうん、何してんの?こんなとこで?」
「救急の研修やねんけど、そっちこそどないしたん?」
そんな会話を交わしたことを思い出していた。
聞くと、ここの所属ではないらしく、
彼はA市に住んでいるけれど、勤務はK市のようだった。


やがて搬送先の病院に着いて下りるとそこは駅の近くで、
サッカーボールで遊ぶ少年と目があった。
まじまじと注目されるのが恥ずかしい。


「我々はここまでです」と救急隊が去り、
案内された人気のない診察室で医師が来るのを待った。
ひとりぽつんと、いやな空気の待ち時間だ。

デスパレートな私


ヘルメットのヒビの一部。
右の内側と側頭部にもある。
ちなみに自転車のヘルメットは、
衝撃吸収時にヒビが入るような設計になっており、
一度役割を果たすと使えなくなる。



到着した救急隊員がケガの程度を確かめたり、
私に気分や痛みを尋ねたりしていた。
特に、地面と激突した頭部について、
入念な聞き取りが行われた。
こめかみにちょっと違和感があっただけで、
頭が痛いとかは全くなかった。
取り外されたヘルメットにひびを見つけたときは、
頭を打つことへの恐怖と、
ヘルメットへの感謝がふっと沸き起こった。


搬送先の確認など問い合わせの電話をしている最中、
思い出せることは、助けて頂いた方々に対して、
「ありがとうございます」を連呼していたことだった。


隊員が「肘を曲げられますか?」と聞いてきたので、
理由は分からないが、
おそらくそんなことをしなくてもよかっただろう、
思いっきり曲げてみせた。
この時は曲がった。聞かれたから曲げたんだ!


さらに、10年前の右肘骨折時には、
激痛が走って曲げるのが不可能だったことを思い出し、
「折れてないんじゃないっすか」などと、
軽率な自己診断すら披露した。
いま振り返ると、
ただのバカじゃないかと思わざるを得ない。
腕からボトボトと血が滴り落ちているにもかかわらず、
縫えばいいだけの話だと楽観していた。


この時に、救助していただいたご夫婦と
自転車を頼んだご老人に、
後でお礼するため連絡先を聞いておくべきだった。
冷静さを欠いて心のどこかで、
またこの辺りで会えるという、
根拠のない甘えがあったように思う。


「今日は休日なので、整形外科がなく外科に行きます」
電話を終えた隊員がそう述べた。
とにかく病院で医者にみてもらうことしか頭にない私は、
うなずき続けていたが、
結果的には、これがよくなかった・・・


バッグとヘルメットを外してもらいながら、
「補助ありで立てますか?」中年の隊員が言う。
若い隊員に右腕を持ってもらい、
高さをキープされながら立ち上がろうとしたけれど、
股関節がおかしい!右腰もやけに痛い!
すっと立てずに片足スクワットの様に起立した。
とにかく、どこがどうなっているかわからないまま、
隊員に支えられながら右足を引きずって、
すぐそばの救急車に近づくことだけを考え、
ずっと車体のドアを見つめ続けて前進した。